2009年06月17日

エスカレーターはステップとステップの間に隙間があり

エスカレーターはステップとステップの間に隙間があり、まれに乗っている人の衣類などを挟むことがあるため、衝撃を感知すると緊急停止する安全装置が設置されている。しかし、後述のような設計上の想定外の利用が後をたたないため、この装置が誤作動を起こすことが増えている。そこでJR東日本では2009年から2015年度までに、エスカレーターを駆け下ることなどで生じる瞬間的な振動で緊急停止しないようにエスカレーターを改良し、安全装置がむやみに作動しないようにして誤作動を8割減らすようにするという。

日本でもっとも長いエスカレーターは、香川県丸亀市にあるニューレオマワールドのエスカレーター「マジックストロー」が高低差42m・全長96mで日本一となっている。

なお、和歌山県那智勝浦町のホテル浦島の3基乗継ぎのエスカレーター「スペースウオーカー」は、高低差約80m(地上1階から32階まで)、全長154mである。

もっとも短いエスカレーターは、川崎駅前の地下街アゼリアと川崎岡田屋モアーズ地下2階を結ぶ下りエスカレーター(アゼリアはモアーズの地下1階と地下2階の間に接する)で、ステップ4段分しかない。エスカレーターを降りてもさらに階段が続くため、結果的に存在意義はないが、その短さゆえにギネスブックに登録されている。当初は階段まで含めて1基のエスカレーターとする計画だったが、施工の段階になって途中に撤去困難な梁が存在することが判明し、梁に干渉しない部分だけに短縮のうえで設置された。

この機器は、「エスカレーター」と表記されたり「エスカレータ」と表記されたり、表記が一貫していないが、JIS(日本工業規格)では「エスカレータ」と表記している。
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JIS の中には、用語や記述記号についての定めもある。一般には、外来語で、英語の語尾が「-er」「-or」「-ar」の場合、長音符号で表記する。従って「エスカレーター」となる。しかし、JISでは、学術用語や別の規格がある場合はそれに従うが、それ以外の場合、その言葉が3音以上であれば、長音符号を省くのが原則となっている。従って、JISでは、エスカレーターを「エスカレータ」と表記する。これらは、どちらが正しくてどちらが誤りと決められるものではない。

JISの表記の定めは、「JIS規格の文書中で使用する用語の定義」であり、日本で一般に使用する用語の定義ではない。ただし、その提案は業界の団体がおこなっているため、どの業界であってもJISに規格のある業界では特にその技術系においてJIS用語に規定された用語が広く使われている。技術仕様では官公庁への届出など公文書への添付などにも使用されることもあるためである。しかし、顧客志向に重きを置かれるようになってからは、世間一般と広く接する販売系、マーケティング系においては、たとえ企業向けの販売が多い場合であっても、世の中で広く受け入れられている用語が使用され、一般に、エレベーター、エスカレーターの表記が使われる。業界団体の名称は日本エレベータ協会である。一般広報には同様のアプローチをしている。

新聞や書籍などといった印刷媒体では、文字数が少なくてすむので長音符号を省く表記が抵抗なく受け入れられていったが、日本語会話における口語では「エスカレーター」と伸ばして発音する人も多い。

その他 [編集]
中高一貫教育や中高(小中高大学、更に幼稚園までが加わる事も)一貫校など、無試験で内部進学が可能なことを、エスカレーターの動作に例えて俗に「エスカレーター式」あるいは「エレベーター式」と呼ぶ。
エスカレータの踏段の積載荷重は建築基準法施行令(第129条の12)により、踏段面の水平投影面積上に対し、2,600N/m?以上と規定されている。踏み板1枚あたりにすると、体重60kgの乗客2人くらいの値になるので、強度計算上、二人乗り幅の踏段の全てに二人ずつが乗ることを想定したものとなっていない。
エスカレータの手すりは踏段に沿って動くようにはなっているものの、手すりのベルトはすべり摩擦により駆動されるため特に逆方向への引張りに対しては弱い側面を持つ。このためエスカレータの乗り口・降り口で手すりを押したり引っ張ったりするのは論外の行為であり、エスカレータ乗客の将棋倒しといった事故のもとになる。

2009年05月31日

突厥との関係

698年の渤海(当時は「震」)建国当初は後突厥汗国の躍進期に当たっており、営州の反乱の後、突厥第二帝国の第2代黙啜可汗は唐を支援し契丹を攻撃するなど、東北アジアに於ける軍事的に優勢な地位を占めていた。建国間もない不安定な渤海は、唐による侵攻に備え、使者を突厥に派遣しその支持を獲得している。その代償として渤海は突厥の属国としての地位を甘受することになり、突厥から派遣される吐屯により渤海は統制と貢賦の権限を与えられることになった。

その後唐との関係が改善され、唐が大祚栄を冊封するに至ると突厥との関係が疎遠となったが、大武芸が即位し唐と対立した際、突厥の支援を得られなかった事で関係悪化は確定的となり、唐との和解と同時に突厥と断交している。
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734年、突厥は渤海に使者を派遣し、契丹と奚の挟撃を打診されるが、渤海はこの要求を拒否、更に使者を抑留し唐に移送し処理を委任するという行動に出て突厥との関係悪化は決定的なものとなった。その後突厥は内紛と唐との闘争により急速に勢力を衰退させ、渤海との紛争を起こす余力は無くなり、745年に回紇により突厥は滅亡した。

渤海建国に当たっては営州の反乱と契丹の反唐活動により、大祚栄が独立する契機を生じたことから、両者には特別な関係が存在していたと推測される。720年に唐が渤海に対し契丹及び奚への攻撃を打診した際に、唐の冊封体制下の渤海は出兵の義務を有していたにも関わらず、これを拒否していることからも推測されるものである。

しかし唐との関係が改善されるに反比例し、渤海と契丹の関係は冷却化の一途を辿った。それは渤海後期に扶余府一帯に契丹の侵入を防ぐべく常備軍を駐留させた記録からも窺えるものである。当然渤海は契丹人の反逆者の亡命を受け入れるようになり、契丹王室の轄底が渤海へ亡命した記録などもある。それでも『新唐書』で渤海の風俗を「高麗、契丹と略等し」と表現されるように文化的な親密さは相当なものであり、両者の経済的、文化的な交流は持続され、それは契丹道と称される重要な対外交通路の地位を占めていた。

渤海末年、渤海の勢力は衰退し、926年には契丹人による国家、遼により滅ぼされ、その故地には東丹国が建国された。

2009年04月27日

ハイブリッドロケット

ハイブリッドロケットとは、固体の燃料と気体または液体の酸化剤を使用するロケットを指す。流体である酸化剤の流量を調整する事で液体燃料ロケットと同様の固体燃料の燃焼制御(推力調整、再点火)を可能にするのが特徴である。また現用の固体燃料ロケットの高性能酸化剤は全て塩素の化合物であり、液体酸素や窒素酸化物を酸化剤に用いるハイブリッドロケットは、固体燃料ロケットに比べて、より「クリーン」であるといえる。また流体は酸化剤だけなので、液体燃料ロケットのように二種類の流体を扱う必要が無く、燃料系統が簡素化される利点がある。

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他方、ハイブリッドロケットには二つの主要な欠点がある。一つ目は固体燃料ロケットと同様にロケット自体が頑丈で重くなる点である。もう一つは燃焼前に酸化剤と燃料を混合しなければならない点である。固体燃料は製造過程で酸化剤と燃料が慎重に制御された状態で混合されている。液体燃料の場合、燃料の混合は性能が事前に十分に検討されている燃焼室上部の燃料噴射機によって行われる。ハイブリッド燃料の場合、燃料と酸化剤の混合は、溶融または蒸発中の燃料表面で行われる。このような混合は十分に制御されうる事は無く、結果的に多くの燃料が未燃焼のままとなり、燃料効率と排気エネルギーが制限されることになる。これらを簡単にまとめて、液体と固体の欠点を併せ持つハイブリッドと自嘲されることもある。

固体・液体燃料ロケットに比べてハイブリッド燃料の開発事例はずっと少ない。軍用ミサイルの場合、運用と整備に利点がある固体燃料が主用され、衛星打ち上げロケットは、総じてハイブリッド燃料ロケットより性能がよい液体燃料ロケットで開発が行われたためである。しかしながら最近は民間用の低軌道投入用ロケットでの開発事例が増えてきている。液体燃料ロケットの開発で知られる Reaction Research Society (RRS) はまたハイブリッドロケットを長く研究開発していることで知られている。近年、米国のいくつかの大学がハイブリッドロケットの実験を行っている。1995年、ユタ大学、及びユタ州立大学の学生は合同で Unity IV と呼ばれる固体燃料(HTPB、末端水酸基ポリブタジエン)と気体の酸素を用いるロケットを打ち上げ、2003年にはHTPBと窒素酸化物を推進剤に用いる、より大型化されたロケットを打ち上げている。またオレゴン州のポートランド州立大学では2000年の初めにいくつかのハイブリッドロケットを打ち上げている。

世界最初の民間開発による有人宇宙船スペース・シップ・ワン (SpaceShipOne) は、HTPB と亜酸化窒素を用いるハイブリッドロケットエンジンを採用している。二社のエンジンから燃焼時間-出力特性により選定された搭載エンジンは SpaceDev, Inc. によって製造されたものである。SpaceDev は NASA の Stennis スペースセンターの E1 テストスタンドで行われた AMROC (American Rocket Company) のハイブリッドロケットエンジンテストから収集された実験データに部分的に使用している。エンジンは最少推力 4.4 kN から最大推力 1.1 MN までの稼動テストが成功している。SpaceDev は AMROC が出資不足によって事業を停止した後、1998年に同社の特許や資産を購入している。

日本においては、首都大学東京湯浅研究室が国内初となるハイブリッドロケット打ち上げを2001年3月に行なったが、その後はエンジン研究に専念しており打ち上げは行なっていない。つづいて、北海道大学などが中心となっている、プラスチック(ポリエチレン)を燃料、液体酸素を酸化剤とするCAMUIロケットが2002年3月に初の打ち上げを行ない、2005年3月には東海大学TSRPが4機目にして同団体初の自主開発エンジンを搭載し打ち上げ、2006年3月にTSRPが高度1kmに達したが回収に失敗、同年12月CAMUIが高度1kmに並び、2007年8月、CAMUIが3.5kmに到達したが回収に失敗、これが2008年7月現在の国内ハイブリッドロケット最高到達高度となっている。

2009年04月12日

ペガスス座51番星

ペガスス座51番星(ぺがすすざ51ばんせい)は、地球から50.1光年の距離にある太陽によく似た恒星。地球から見るとペガスス座の四辺形の近くに位置する。1995年10月6日、太陽外の惑星の存在が初めて確認された。

恒星 [編集]
ペガスス座51番星は、国際的には51 Pegasi(略称は51 Peg)と表記される。ヒッパルコスカタログではHIP113357、ヘンリー・ドレイパーカタログではHD217014という番号が振られている。視等級は5.5であり、双眼鏡を使えば確認することが出来るほか、星のよく見える暗い場所では肉眼で見ることも可能である。黄色い恒星で、スペクトル型はG2IVである。年齢は75億歳と太陽より高齢であり、質量は太陽より4%ほど大きい。また太陽に比べ金属成分に富む。

惑星系 [編集]
ペガスス座51番星は質量が木星の半分ほどである惑星を一つ持つことが知られており、この惑星はベレロフォン(Bellerophon)と呼ばれている。1995年にジュネーブ天文台のミシェル・マイヨール、ディディエル・クエロッツらにより発見された。

この惑星は主星から0.05AU(太陽-水星の距離の1/6)という近距離を4.2日で公転している。そのため表面は1000℃まで熱せられていると考えられている。このようなタイプの惑星はホット・ジュピターと呼ばれ、発見当初は惑星形成理論で説明できない常識外れな惑星だと考えられたが、後に似たような惑星が数多く発見されている。

ソルジャー ルーツ りゅうき キャリ ニジェール ロック レード ハレルヤ こごた 茶色の小 バックシ タイヤ シホウチ コラン サイレ ジャーキー ハプテン ファースト ハプ くみん ケニア モンバ ギア ルーブル ニサバル 一致団 モザン パゴダ ツーソン カナイマ レツレツ ファイザー レジレソ フリートーク ひらたけ オペラ レソト チェダー レシオ サバト おとぎ ワッペ リップ エピス ハーフメイ モダニ マスツ アデス ディンイン すながわ

2009年03月27日

中部フランク王国

中部フランク王国(仏:Francie médiane 独:Mittelreich)は、ヴェルダン条約によるフランク王国の分裂によって、東フランク王国と西フランク王国の中間に、カール大帝の孫で西ローマ皇帝の称号を持つロタール1世の領土として建てられた王国。ロタール王国、ロタール領と呼ぶこともある。

843年のヴェルダン条約によって国土は、イタリア、ブルゴーニュ、プロヴァンス、西アウストラシアに及んだ。領土が入り組んだ形になったのは重要拠点を中部フランク王国が取得したからだが、その諸民族を統率するべき歴史的、民族的、あるいは地理的一体性もない、人為的な建国で、維持は困難であった。855年のロタール1世の死後、遺領は息子たちがこれをロタリンギア、プロヴァンスおよびイタリアに3分して治め、870年メルセン条約で、それぞれ東フランク王国(国王ルートヴィヒ2世)、西フランク王国(国王シャルル2世)、イタリア王国(国王ロドヴィコ2世)に割譲された。
ズンイン 紅葉遊 ミライン バックラ バンカメ コート トケーオー プチポワ スエード シート バーレル たいはく クール グワナ 江戸一 ひだまり チーク プラトーン ワンウェイ チャンス ナブスター フウトウ バリカ シェイク プロテ プロダク ルイジ ティブ 紫式部 まさかき ハンド はわい ネクタイ シタール ギガビ トラン モニタリ スキニー ネオナチ ポット ソイド スター 美人薄命 ググイウ リアリ サーチイスノ シンハ はさま セッション ナック

国王 [編集]
ロタール1世(中部フランク王在位:843年 - 855年、西ローマ皇帝在位:840年 - 855年)

ロドヴィコ2世(ロタール1世の長子、イタリア王 兼 西ローマ皇帝在位:855年 - 875年)
ロタール2世(ロタール1世の次子、ロタリンギア王在位:855年 - 869年)
シャルル(ロタール1世の末子、プロヴァンス王在位:855年 - 863年)

2009年03月12日

レーティッシュ鉄道

レーティッシュ鉄道(レーティッシュてつどう、ドイツ語: RhB: Rhätische Bahn)は、スイス東部のグラウビュンデン州を中心に約400kmの路線網を持つスイス最大級の私鉄である。沿線にサンモリッツやダヴォスなどの世界的なリゾート地を持ち、氷河急行やベルニナ急行といった看板列車を走らせている観光路線であるほか、地域の生活路線としても旅客・貨物輸送共に多数の列車を運行してグラウビュンデン州の鉄道輸送をほぼ一手に担い、州の経済において重要な役割を果たしており、主要路線は世界遺産登録もされている。日本語ではレーテッシュ鉄道、レーティッシェ鉄道などとも表記される。

レーティッシュ鉄道はグラウビュンデン州の州都クールに本社を置くスイス最大級の私鉄で、以下の各国語で表記され、所属する車両にもいずれかの表記でロゴが入れられている。

ドイツ語表記:Rhätische Bahn
イタリア語表記:Ferrovia retica
ロマンシュ語表記:Viafier retica
なお、レーティッシュ鉄道の名前の由来は紀元前3000年頃からこの地に住んでいたとされるスイス東部の先住民族であるラエティア族[1]の名にまで遡ることができる。

グラウビュンデン州にはスイス連邦鉄道(スイス国鉄)はほとんど路線を持たず、レーティッシュ鉄道がほぼすべての鉄道輸送を担っている、このため、私鉄でありながら、株式の51%をグラウビュンデン州が、43%をスイス連邦が所有し、民間の所有は6%となっており、多くの機関車の前面にはグラウビュンデン州の紋章が設置されているほか、2004年以降順次採用されている車両の新塗装では車体側面にもグラウビュンデン州のロゴが入っている。

スイスアルプスの山岳地帯に路線を持つが、ラック式には頼らず、勾配を本線系統では45パーミル、ベルニナ線やクール・アローザ線でも70パーミルや60パーミルに抑え、ループ線やトンネルを多用することですべて粘着式鉄道としているのが特徴で、結果として長大編成の列車を運行可能としている。

レーティッシュ鉄道はラントクアルトからダヴォスまでの路線を建設したラントクアルト・ダヴォス鉄道を前身としている。同社が最初にダヴォスまでの路線を計画した際にはラック式やスイッチバックによることも検討された。しかし、結果的には通常の粘着式鉄道とし、スイッチバックも1箇所(これも後に解消される)のみとし、費用的な面から標準軌ではなくメーターゲージで建設することとなり、このときの決定がその後のレーティッシュ鉄道の各路線建設における基本方針となっている。ラントクアルト・ダヴォス鉄道は1890年にはダヴォスまでの路線を開業させたが、グラウビュンデン州の他の地域へ路線を拡大することから、1895年には社名をレーティッシュ鉄道に変更し、その後1897年には住民投票により州営となり、結果その後急速に路線を拡大していくこととなった。
ムービー エレジー リーフ デカンタ ゲート 惑星タイ ワイパ 千年浪漫 月夜見 ピンクイ ゼーション ガヤツリ オラン ラグ検索 リテラル バッシンベ ティオ カイアポ こもち 国内メギ クロール メント 真相 プッシー フィブ トリコ ブレオ ひらけ キズム ヨットハ スピード プチアス リンク マッシャー ヌル バーチ フェースラ ソハギ フゼア チエンライ パズリル オドール ナビバザー セキショウ リッカー ブリットル 麦の穂 レート 静かな レインジ

第一次世界大戦による石炭価格の高騰により、交流11kV16.7Hzでの電化が検討され、エンガディン線開業時にサメダン - シュクオール・タラスプ間が電化されたのを皮切りに1913年から1922年にかけて本線系統はすべて電化されている。なお、スイス国鉄などでは交流15kVを採用しているが、レーティッシュ鉄道ではトンネル断面が小さいため、絶縁上の問題から11kVと低い電圧を採用している。

1942年には同じクールとリゾート地のアローザを結ぶクール・アローザ鉄道とティチーノ州のベリンツォーナ・メソッコ鉄道を、1943年にはサンモリッツとイタリアのティラーノを結ぶベルニナ鉄道を合併し、グラウビュンデン州の鉄道をレーティッシュ鉄道に統合した。

第二次世界大戦後1970年代までは財政的には厳しかったものの、助成金によって路線や駅の廃止せずに乗切ることができたが、スイス国鉄によるレーティッシュ鉄道の統合も議論されることがあった。1970年代以降1980年代にかけての助成金の減少に伴い、レーティッシュ鉄道は観光鉄道としての利用喚起に本腰を入れるようになり、美しい沿線風景を旅行者にアピールした結果、氷河急行、ベルニナ急行、ハイジ急行などの看板列車は1年を通じて多数の旅行者を輸送することとなった。また、利用の少ない駅の廃止や停留所の格下げもこの時期に実施されているが、その後も続く財政問題の解決のため、現在も合理化プログラムが進行中である。

レーティッシュ鉄道とスイス、イタリアおよび各沿線自治体ではアルブラ線とベルニナ線とその沿線の景観について、世界遺産登録を目指してGe4/4 III形650号機およびABe4/4 51-56形51号機をラントヴァッサー橋をデザインした広告塗装機とするなどの活動を行ってきたが、その結果2008年の第32回世界遺産委員会で「アルブラとベルニナの景観群におけるレーティッシュ鉄道」として正式に世界遺産リストに登録されている。なお、鉄道に関する世界遺産はオーストリアのゼメリング鉄道、インドのインドの山岳鉄道群[2]に続き3例目である。

沿革
1889年10月9日 ラントクアルト - クロスタース間(32.4km)開通
1890年7月21日 クロスタース - ダヴォス間(17.5km)開通
1890年7月21日 クロスタース - ダヴォス間(17.5km)開通
1896年7月1日 クール - テュシス間(27.3km)開通
1896年8月29日 ラントクアルト - クール間(13.7km)開通
1903年7月1日 テュシス - ツェレリーナ間(59.1km)開通
1903年6月1日 ライヒェナウ - イランツ間(19.3km)開通
1904年7月9日 ツェレリーナ - サンモリッツ間(2.6km)開通
1907年7月31日 ベリンツォーナ・メソッコ鉄道(31.3km)全線開通
1908年7月1日 サメダン - ポントレジーナ間(5.9km)、ベルニナ鉄道ポントレジーナ - モルテラッチュ間(6.4km)、ポスキアーヴォ - ティラーノ間(17.0km)開通
1908年8月18日 ベルニナ鉄道セレリナ - ポントレジーナ間(3.8km)、モルテラッチュ - ベルニナ・ハウザー間(3.6km)開通
1909年7月1日 ダヴォス - フィリズール間(19.3km)、ベルニナ鉄道サンモリッツ - セレリナ間(2.0km)、ベルニナ・ハウザー - ベルニナ・ホスピッツ間(6.6km)開通
1910年7月5日 ベルニナ鉄道ベルニナ・ホスピッツ - ポスキアーヴォ間(21.3km)開通
1912年8月1日 イランツ - ディセンティス・ミュンスター間(30.0km)開通
1913年7月1日 ベーベル - シュクオール・タラスプ間(49.4km)開通
1914年12月14日 クール・アローザ鉄道(25.7km)全線開通
1942年1月1日 ベリンツォーナ・メソッコ鉄道とクール・アローザ鉄道がレーティッシュ鉄道へ合併
1943年1月1日 ベルニナ鉄道がレーティッシュ鉄道へ合併
1999年11月19日 クロスタース - スーシュ間(21.5km)開通

2009年02月23日

トリトン族の生き残りで13歳の少年

トリトン:塩屋翼
トリトン族の生き残りで13歳の少年。赤ん坊の時に猪の首岬の洞窟に置き去りにされ、和也(アニメでは漁師の一平)に拾われて育てられる。ルカーの話によって自らの出生を知り、村にポセイドンの被害が及ぶことを恐れ、村を捨て自ら海へと旅立つ。アニメでは髪が緑色。
ピピ:広川あけみ
トリトン族の生き残りで人魚の少女。アニメでは北の海でアザラシのプロテウスに育てられる。慎重なトリトンとは対照的に、勝気で好奇心旺盛。その性格が災いして敵の罠に落ちることもしばしば。
ルカー:北浜晴子
トロン アール ターミナル ナフタリ デジタル バケー ロープ カメオ 紅柿 一獲千 ブックマ テニス メンタル オペミスズ トランポ ジッパ おれが こはくいろ はくほう トマト 川霧 モノトーン カタコンベ シスチン サーチタス プジョー ナローラ クロトン チュニック カード ピンクチェ モル レインコ ファンダ ストーマ パイプ リター ファー レジャー マッドマ ノッ フェイバー ポーズ ヨーグルト シーフー プレーメ ボール オーバル トート ちょとつ

黄金の(アニメでは白)イルカ。トリトンの乳母的な存在。甥にイル・カル・フィンがいる。
イル:大竹宏
イルカ三兄弟の長男。メガネをかけている。
カル:肝付兼太
イルカ三兄弟の次男。頬の斑点が特徴。
フィン:杉山佳寿子
イルカ三兄弟の三男。ピンクの法螺貝をヒモで結んで頭につけている。
一平:八奈見乗児
トリトンの父:野田圭一
トリトンの母:沢田敏子
メドン:外山高士
巨大な海亀。フィンの持つ法螺貝は元々メドンの甲羅の割れ目に隠してあった。トリトン救出に向かうが、ドリテアの罠にはまり、海底火山の爆発で命を落とした。
プロテウス:滝口順平
ピピの養父に当たるアザラシ。ミノータスによって氷付けにされ、死亡。
ラカン:峰恵研
インド洋に住むシーラカンス。ヘプタポーダの脱出を助けた罪でポセイドンによって死なない体に変えられたが、オリハルコンの短剣の輝きで呪いが解けて絶命した。
ジェム:山本圭子
ポセイドン:北川国彦
ポセイドン族の首領で巨大な石像。トリトンの持つオリハルコンの短剣の輝きに引かれる。
ドリテア:沢田敏子
北太平洋の女司令官。武器は鞭。トリトン征伐に失敗し、ポセイドン族の掟に従い、海底火山の噴火口に身を投げ自ら命を断つ。
ヘプタポーダ:中西妙子
ポセイドンが人間から作り出したポセイドン族でありながら青い海と太陽に憧れていたために、永久追放され、南太平洋のはずれの海グモの牢獄に閉じ込められていたが、望みを叶えるという条件でトリトン征伐に参加する。ポセイドン族には珍しく美しい女性の姿をしている。何匹ものカマスを「生きた剣」に変えて戦う。トリトンとの戦いで自分の憧れていた太陽の下では輝きが強すぎてポセイドン族は生きられないと悟り、ポセイドンを裏切りトリトンに加担する。レハールの居場所をトリトンに知らせるが、自身はレハールに殺される。
ポリペイモス:加藤精三
鮫人で南太平洋の司令官。幾度もトリトン征伐に失敗し、その責任からポセイドン族の掟に従ってマーカスに処刑される。
ミノータス:柴田秀勝
ポセイドンが人間から作った、北極海の司令官。武器は口から吹く冷気。
マイペス:加藤修→野田圭一
ポセイドンが人間から作った、南極海の司令官。ミノータスとは元の人間が兄弟にあたる。トリトン達を海の墓場に誘い込み、襲撃するも、ピピが付けたアルコールランプの炎を浴びて火達磨となり、海底に没した。
レハール:富田耕生
マンドリル顔で頭に角を持つ男で幻覚術を使う。ポセイドンの命により2000年の眠りから目覚め、ドリテア、ポリペイモス亡き後の太平洋全域の指揮を任された。裏切り者であるヘプタポーダを倒すも、直後にオリハルコンの輝きを直視したために失明、海底を永久に彷徨うこととなり、ポセイドンにも見捨てられる。
マーカス:矢田耕司
ポセイドンが命令伝達に使う、瞬間移動のできるタツノオトシゴ。武器は口から吹く毒針。
ネレウス:八奈見乗児→今西正男
セイウチの顔をした参謀。数々の刺客を送り込むもトリトンに大西洋入りを許し、失敗の責任を取ってポセイドンの命を受けたゲルペスに処刑される。
ゲルペス:兼本新吾→増岡弘
赤肌の半魚人。ゴルセノスにそっくり。ポセイドン守護が任務。同族の親衛隊を率いている。
ブルーダ:中曽根雅夫→山田俊司
虎模様で頭に角を生やしたインド洋の司令官。インド洋でトリトンを迎え撃ち、ブーメランを武器に戦うも敗れる。オリハルコンの剣の輝きがトリトンの力から発するものであることに気づいた。
ゴルセノス:水鳥鉄夫
頭に鶏冠の生えた、鱗に覆われた緑肌の半魚人。地中海の司令官。巨大なカブトガニに乗り、砂を使った攻撃や砂の分身でトリトンを苦しめた。乱暴者と言われる割りに頭が働くようで、オリハルコンの短剣を研究して対策を練り、鏡のような大きな盾を使って短剣の輝きを反射してみせたが、最期には砂の分身が洞窟の鍾乳石から滴り落ちる水に触れて固まり、自身は盾を手放したために敗れる。
クラゲ:杉山佳寿子→吉田理保子
トリトン一行の動静を連絡する、連絡係。触手で岩を叩いて連絡を取り合う。
ポセイドン族長老:渡部猛
老人
永井一郎

2009年02月07日

中核派の労働運動

中核派は創世期は学生中心であったが、1960年代末に中核派系の反戦青年委員会の労働者が続々と街頭武装闘争に参加するようになった。以降、沖縄闘争や三里塚闘争、狭山闘争などの闘いに労働者が決起した。また1970年代の対革マル戦、1980年代のゲリラ闘争においても労働者が革命軍の武闘を支えた。1990年代のゲリラ戦から労働運動への転換により、4大産別での闘いが重要視されるようになり、2000年代の階級的労働運動路線によりあらゆる職場での闘いが始まっている。2000年代後半からは、4大産別に医療・福祉と非正規などを軸とする産別闘争が加わり、6大産別となった。
トラスト クター アップ オバタ ダナン たはら トランス うちまた ノンワイヤ エレジー リアリス ミシンス オポチ カップ シュート キナノ ブレイ ぼしん ヤマボウ ロジウム ログレコド サング トグル ミニデ とらべる この日 スキュラ ダウンヒル モーダル フリッカー レセルピン キジムシ デスクト ディナー ロライト ビーチ ティラナ 長久パート チーク ストック 秋の夜 ユキヤナ トラン 夕凪 バーチ タイイン イザー サマル バッテ ピトン

「マルクス主義青年労働者同盟(マル青労同)」青年労働者の政治組織。機関誌『ソリダリティ』-不定期刊)。

4大産別(6大産別)
国鉄 全逓 教労 自治体 医療・福祉 合同労組

支持・共闘関係の労働組織
動労千葉 「中核派労働運動の精華」あるいは「世界革命の司令塔」「新自由主義に打ち勝っている世界で唯一の労組」などと自称し、「階級的労働運動路線のもとすべての労働者は動労千葉のように闘おう」と呼びかけている。
水戸動労

学生運動
中核派の学生政治組織として、「マルクス主義学生同盟・中核派(マル学同中核派)」がある。学生大衆組織には全日本学生自治会総連合(全学連)がある(いわゆる中核派全学連)。過去から現在、中核派の学籍者がいるとされている大学は以下の通り。

大阪市立大学
京都大学
九州大学
慶應義塾大学
東北大学
東海大学
富山大学
上智大学
広島大学
弘前大学
法政大学
2006年3月14日、大学「当局」の立て看板撤去に抗議していた中核派活動家29人(内法大生など大学関係者は5人)が建造物侵入と威力業務妨害の容疑で逮捕された。逮捕時には約200人の公安警察が動員された。中核派はこの事件を「2006・3・14法政大学弾圧事件」と称し強く反発した。25日には29人全員が釈放され、そのうち法大生であった5人には停学や退学処分が下された。その後、処分生5人や法政大学無関係者も含む逮捕者を中心に「3・14法大弾圧を許さない法大生の会」なる団体をつくり、学内外で抗議活動を現在も行っている。大学側は警備員を常駐させるなどして対処している。06、07年中に停学学生に対して無期限停学や退学など追加処分が下され、(大学無関係者含めて)逮捕者は40名を超えている。

] 諸戦線
支持・共闘関係の大衆組織
三里塚・芝山連合空港反対同盟(北原派)
杉並親の会 
全国部落青年戦闘同志会
都政を革新する会(都革新) 
部落解放同盟全国連合会
被爆者青年同盟
百万人署名運動

中核派用語集
10・8 じっぱち。中核派が初めて武装して権力と闘った97年の羽田闘争を指し、その闘いは10・8精神として称揚されている。
MWL=マル青労同
MSL=マル学同
NC=革命的共産主義者同盟全国委員会
SOB=学生組織委員会
WOB=労働者中央組織委員会

年表
1956年
10月 ハンガリー革命がソ連によって弾圧。反乱したハンガリー労働者を支持する反スターリン主義運動が始まる。
1957年
12月 革命的共産主義者同盟(革共同)創立。
トロツキー派と、反スターリン派の黒田寛一・本多延嘉らRMGが対立していく。
1958年
7月 革共同第一次分裂。
1959年
8月 : 革共同第2次分裂により革共同全国委が結成される。反帝国主義・反スターリン主義の基本戦略をかかげる。
1959年
8月 : 革共同第2次分裂により革共同全国委が結成される。反帝国主義・反スターリン主義の基本戦略をかかげる。
1960年
4月 マル学同(革共同の学生組織)結成。
6月 安保闘争 
1961年
3月 分裂したブンドの半数が革共同へ移行する。中核派これをもって新左翼は革命的に統一されたとする。
4月 全学連第17回大会。ヘゲモニーをめぐりマル学同とつるや連合(ブント・解放派)などが衝突。マル学同は角材で武装して突撃。
1962年
9月 議長・黒田寛一派と書記長・本多延嘉派の対立が表面化する。
1962年
9月 革共同第3回全国委員会総会(3全総)。社会党・共産党をのりこえて階級闘争を戦闘的に推進していくことを確認。議長・黒田寛一派と書記長・本多延嘉派の対立が表面化する。
10月末 政治局内の本多延嘉が「本多フラクション(本多、野島、陶山、北川、白井)」を発足。
1963年
2月 革共同第3次分裂。黒田派が脱党して革マル派を結成。執行部を抑えた本多派は中核派を形成する。
中核派はブント、解放派、構改派と連合4派を組み、全学連を独占する革マル派と対抗していく。

9月13日 「清水谷公園乱闘事件」ー中核派ら連合4派250名が集会してるところへ、革マル派150名が押しかけ、角材で乱闘。
1964年
7月2日 「早大殴り込み事件」ー革マル派の拠点である早大に、中核派、解放派、構改派の3派が殴り込み。投石、角材で渡り合う。
7月 全学連第20回大会ー会場を占拠する革マル派に対し、中核派130名がスクラムを組んで突入し激突。
1965年 
連合4派から構改派が抜け落ちた中核派、社学同、解放派が三派都学連を結成。
日韓闘争(日韓条約締結反対闘争)。学生運動の復活が始まる。
1966年 
革共同第3回全国大会―安保粉砕・日本帝国主義打倒の基本路線をうちだす。そのもとで70年安保・沖縄闘争に突入していく。。
1967年
10月20日 10・8羽田闘争ー佐藤首相(当時)の南ベトナム訪問阻止闘争。三派全学連を構成する中核派はヘルメットと角材で武装して弁天橋で機動隊と激突。この闘いで中核派学生・山崎博昭が死亡。
11月第二次羽田闘争
1968年
1月 米原子力空母エンタープライズ佐世保寄港阻止闘争ー佐世保市民の支持を得る。
2月?王子闘争ー市民が闘いに加勢する。
10月21日 10・21国際反戦デー ー都内各地で諸セクトが決起する中、中核派部隊は米軍タンク車の輸送を阻止するため新宿駅で闘争。新宿は2万人の群衆が暴動に加わり、騒乱罪が適用された。
11月21日 東大・日大闘争勝利全国学生総決起大会。
日大・東大を先頭に全国で大学闘争が高揚。

1969年 
1月18日?19日 東大安田砦攻防戦ー中核派は法研棟を死守。
4月28日 4・28沖縄闘争ー銀座で市街戦。本多延嘉に破壊活動防止法が適用される。
6月 都議会選挙ー北小路敏が落選。
8日 アスパック粉砕闘争。中核派学生の乗っていた電車車両が切り離され全員逮捕。
8月17日?18日 広島大学闘争。
9月20日?22日 京大時計台闘争。
10―11月 「第1の11月決戦」――「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」のスローガンのもとに学生とともに労働者が武装闘争に決起した。労働者の「10・8」を!
10月21日 国際反戦デーー新宿で市街戦。1600人逮捕(半数は労働者)。
11月16日?17日 佐藤訪米阻止闘争ー蒲田で市街戦。2500人逮捕(半数は労働者)。
16日 中核派主力は午後3:30分、東京駅に約200名の部隊を結集、途中品川駅で200の部隊と合流して400の部隊で4:20分に京浜東北線蒲田駅東口に到着。機動隊との戦闘状態に入り、火炎瓶と催涙弾が応酬するが、20分で壊滅した。あとは電車が到着するたび200、100の小部隊が投入されるが次々に粉砕されてしまう。

1970年
4月28日 全国全共闘と全国反戦、6月行動委が共催の4・28闘争。デモ解散地に革マル派1000名が突入しようとするが入場を阻止。
6月 安保闘争―武装をひかえた肉弾デモで闘う。
7月7日 闘う中国人青年からの糾弾を受けとめ自己批判して、「連帯戦略」を形成・深化させていった(プロレタリア国際主義の7・7路線)。以降、中核派はありとあらゆる反権力的な大衆闘争にコミットしていく。
8月4日 東京教育大学(現筑波大学)の革マル派学生を法政大学構内でリンチし、殺害する(東京教育大学生リンチ殺人事件)。
夕刻から革共同大政治集会。

1971年
69年のダメージのため70年は武装実力を控えていたが71年に入り戦闘力が復活。現段階は69年11月決戦で質的に一歩高めた階級闘争を、さらにもう一歩すすめるための「死闘的調整期」であるとした。
2月 三里塚第一次土地強制収用阻止闘争。3週間、激しい闘争が繰り広げられた。
3月 本多延嘉が2年近くの長期拘留から解放。
6月15日?17日 沖縄返還協定阻止闘争。
17日 69年並の武闘が復活。明治公園に中核派を中心とする2万人のデモ隊が結集、公園周辺にバリケードを築き1時間にわたって解放区を現出、爆弾が機動隊に投じられ、肉弾戦。逮捕者732名。
7月 三里塚農民放送塔死守闘争。ダイナマイトが投ぜられる。
8月4日 革共同大政治集会ー秋期大決戦突入の号令。大衆によるコザ暴動、三里塚での農民の闘い、ノンセクトの爆弾闘争の頻発。これらの事件に中核派は影響を受け、全人民的規模での「10・8」を!と呼びかける。
9月 「三里塚決戦」第二次土地強制収用阻止闘争。中核派は数千人の部隊を投入、あちこちで機動隊を文字通り撃退した。東峰十字路では機動隊員3名が死亡。
10月
20日 横国大で革マル派の美術学校生水山君を殺害。
21日 10・21闘争ーゲリラ戦の号令。新橋、有楽町で解放区型闘争。210名逮捕。
23日 首都圏の中核派拠点大学に革マル派がテロ攻撃。
1973年
3月 対革マル戦争の路線対立で政治局員・田川和夫が除名。
9月 部落問題をめぐる意見の対立から沢山保太郎が除名。
1974年
2月6日 琉球大学構内で、一般学生・比嘉照邦さんを「革マル派メンバー」と誤認して殺害する。
1975年
3月14日 書記長・本多延嘉が革マル派に殺害される(中核派書記長内ゲバ殺人事件)。
1980年
対革マル戦争を担いロンドンに亡命していた上口孝夫が帰国し、正統本多派と称して「『勝利に向っての試練』編集委員会」(試練派)を立ち上げ、中核派から分裂した。(後に試練派は1983年、第四インターに近づくが失敗し、86年に「第四インターナショナル・ボルシェヴィキ派(準備委員会)」(ボル派)を結成し、機関誌『ボルシェヴィキ』を創刊した)
1983年
3月8日 主に「一坪再共有化運動」の是非をめぐって三里塚・芝山連合空港反対同盟が分裂。「再共有化運動」に反対した中核派は、「北原派」を支持する。
1984年
1月 全国一斉に五箇所の第四インター派メンバー宅を襲撃。一人に頭蓋骨陥没させる重傷を負わせる。
7月 全国一斉にふたたび三箇所の第四インター派メンバー宅を襲撃。一人に片足切断の重傷を負わせる。
9月19日 中核派の地下軍事組織である「人民革命軍」が、火炎放射器で自由民主党の本部を襲撃。本部ビルの一部を焼失させる(自由民主党本部放火襲撃事件)。
1985年
10月20日 三里塚交差点付近で、丸太、鉄パイプ、火炎瓶などを武器に、機動隊と大規模衝突を起こす(10.20成田現地闘争)。
11月29日 首都圏・大阪地区の国電運転線区で同時多発的に通信ケーブルを切断。さらに、浅草橋駅を占拠し、放火。(国電同時多発ゲリラ事件)。
以降、街頭実力闘争は行っていない。

1986年
4月15日 在日米軍の横田飛行場を狙って、車の荷台から「迫撃弾」と称した金属の塊5個を射ち込む。
5月4日 東京サミットの式典会場となっていた迎賓館などを狙って、近くのマンションから「迫撃弾」「飛翔弾」と称した発射物5発を射ち込む。
1988年
9月21日 千葉県収用委員会会長で弁護士の小川彰氏を鉄パイプで襲撃し、両足と左腕を骨折させる重傷を負わせる。それとともに「収用委員会解体闘争」として収用委員全員に組織的に脅迫じみた手紙、電話などを送り続け、翌月、収用委員全員が辞任し千葉県収用委員会の機能が完全に停止する。
1989年
7月3日 東京都議会選挙で中核派系とされる長谷川英憲が当選(「杉並革新連盟」として出馬、のちに「都政を革新する会(都革新)」と改称)。
1990年
4月 日本飛行機(株)専務宅放火殺人事件について、中核派革命軍による犯行声明が出される。
1991年
5月 「五月テーゼ」を決定
1997年
年末 議長に清水丈夫を、書記長に天田三紀夫を選出。
1998年
2月25日 午前二時三十分、革命軍が東京都世田谷区桜丘の運輸省元航空局長に火炎攻撃。「「成田空港二〇〇〇年平行滑走路完成」攻撃を絶対に粉砕することを明らかにする戦闘宣言」と発表。
1999年
11月 新東京国際空港公団(現・成田国際空港株式会社)次長の自宅に時限式発火装置を仕掛け、放火。
2000年
6月5日 公式ホームページを開設
8月26日 運輸省(現・国土交通省)幹部の車両に時限式発火装置を仕掛け、放火。革命軍が「農民の営農破壊、生活破壊のためだけに暫定滑走路工事を強行してきた張本人」「強烈無比の爆破戦闘は、乗用車を大破し、家屋をも徹底的に破壊した」と軍報。
2002年
4月 千葉県職員宅に時限式発火装置を仕掛け、放火。
12月18日 中核派元幹部で中核派を批判する本を書いていた白井朗が何者かに襲われる。
2003年
8月 千葉県警幹部と同姓同名の男性が住む民家に爆発物を仕掛け、放火(県警幹部と誤認した可能性が指摘されている)。
2005年
8月4日 杉並区役所での「新しい歴史教科書をつくる会」教科書採択反対デモの中で、参加者の中核派活動家北島邦彦(現杉並区議会議員)が、ビデオ撮影をしていた男性に暴行を加えたとして逮捕される。
11月6日 同派及び関係労組らが主催する「全国労働者総決起集会」で過去最高の2700人(警察発表)を動員。
12月 警察庁の「治安の回顧と展望」と公安調査庁の「内外情勢の回顧と展望」は中核派について、同派と関係のある市民団体と共闘して、「つくる会」の教科書の採択反対運動に関与していることを強く示唆。
2006年
3月3日 迎賓館や在日米軍の横田飛行場などを狙って迫撃弾を発射し、爆発物取締罰則違反の罪に問われた中核派活動家に対し、東京地方裁判所が懲役12年の実刑判決を言い渡す。被告人側は即日控訴。
3月14日 中核派系全学連委員長ら29人が、法政大学で、大学敷地内で立て看板の撤去作業に抗議し、建造物侵入と威力業務妨害の容疑で現行犯逮捕される。
2008年
5月28日 中核派系全学連委員長ら5人が、傷害と公務執行妨害の容疑で逮捕される。
5月29日 法政大学でデモが起こり、中核派学生活動家33人が逮捕される。
6月29日 渋谷で洞爺湖サミット反対デモが起こり、中核派活動家8人が、公務執行妨害の容疑で逮捕される。後日、前進社へ家宅捜索。
7月3日 中核派活動家3人が、法政大学の敷地内に無断で侵入し、建造物侵入容疑で逮捕される。容疑者は、仲間の退学処分に抗議するためキャンパス内に侵入したという[1]

現在、指名手配されている中核派のメンバー
()内は現在の年齢

大坂正明 (59) 警備中の警察官を襲撃し殺害・他4件
古川康三 (43) 現住建造物放火
木下治人 (61) 集団暴力事件 
山本寛 (59) 集団暴力事件 

2009年01月22日

構築主義的な総合的定義

たしかに上述の主観的な要素はnationの形成過程において重要な役割を演じていることは間違いないのだが、しかし、この主観的な意識による定義は、実際に採用するにははっきりと不十分な点が存在する。集合的な連帯感はほかのさまざまな社会的団体、家族や結社、商業組織に存在しうるもので、nationに限定されるものではない。主観的な意識は最低限の条件なのである。

解決の鍵はこうした主観的な要素が客観的な基礎の上に構築されると認識することである。現実の生活においては、nationのメンバーは、自分が集合的な連帯感によって繋がれて、ひとつの団体をなしているとはみなしていない。反対に、いくつかのそれ以外の要素を列挙する。共通の文化、祖先、歴史、政治制度、あるいは特定の地域への帰属意識などである。こうしたものによって彼らはひとつに結合されているのである。

政治学者でアジア研究者のベネディクト・アンダーソンの有名な「想像された共同体」(imagined community)を借りることで、この問題に前進をもたらすことができる。「nationとはイメージとして心に描かれた・想像された政治共同体である――そしてそれは、本来的に限定され、かつ主権的なものとして想像される」。アンダースンによればnationは一種の人工物(artifact)であり、一個の「想像された政治的な共同体(imagined political community)」である。しかし、このことは、nationが「虚偽の(fabricated)」存在であることを意味しない。採用すべき戦略は、想像の様式(style)、及びこの想像を可能にした制度(institutions)を用いて、この二つの点でのnationの特殊性を理解することなのである。後者についてアンダーソンが挙げている例は「印刷-資本主義(print-capitalism)であり、またそれによって出現した、nationを一個の社会学的な共同体へと変えた新しい文学のジャンルであるところの、新聞と小説である。(Anderson 1991)

実際には、しかし、日々顔を付き合わせる原初的な村落より大きいすべての共同体は(そして本当はおそらく、そうした原初的村落ですら)想像されたものである。共同体は、その真偽(falsity-genuineness)によってではなく、それが想像されるスタイル(the style)によって区別される。(アンダーソン『想像の共同体』原著 1991, 邦訳p17-18 太字は引用者による挿入)
スタイル以外でも、共同体を区別するその他の基準をわれわれは当然見出すことができる。たとえば、その規模の大小や、行政組織の階層化の程度、内部での平等の程度などなどである。nationとナショナリズムを研究するうえで主要な目的は、nationにかかわる「想像された」集合的な連帯感の特殊な形式を見出すことである。クレイグ・カルフーンの提供する以下のリストは、多かれ少なかれひとつの共同体がnationとして想像されるための基礎的条件になりうると思われるものをあげている。

境界線(boundaries):地域的なものか、人口的なものか、両者を合わせたものかは問わない。
不可分性(indivisibility):ひとつのnationはひとつの統合された単位(integral unit)であるという主張。
主権(sovereignty)あるいは主権への希求:他のnationとの間にある種の公式な平等関係が維持され、また通常は一種の自主性と、自給自足性が維持されていることが必要とされる。
合法性(legitimacy)の「上昇(ascending)」的あり方:政府は大衆の意志(popular will)によって支持されている必要があり、最低限でも、「人民(the people)」あるいは「民族(the nation)」の利益に符合している必要がある。
集団の事務への大衆の参加(participation):nationのメンバーであるという身分を基礎として一定の人々が動員されること。(戦争にかぎらず、民間の活動においても)
成員の身分(membership)の直接性:すべての個人はnationの緊密な部分として理解され、成員の間にもまた完全な平等が存在すること。
文化(culture):言語、共有の信仰、価値、さらに風俗習慣などを含む混合物。
時間的な深さ(temporal depth):nationは時間的な実在でなければならず、過去と未来の世代を含み、同時にその歴史を持つ。
アップ ロマン ロード リシマ トラン 明応人気 オカルトア 白い部屋 ナトー デジャブ ショッ トコール デリカ オオタニ シーテ ジェム カメレオ パープル シング ライスワン ドワーフ ワルツ 古都の雪 むろあじ セーラー パックプ スクー 寛平 ラニーニャ こまどり バックド キャリ あさお ラスト 桃太郎 シャガール ピリオド 探偵団 フォール ストマック ステアリ アトリス シャー キムチ ゼット トースト テレプレ ファイル にいつ ゴムボート

共通の祖先(descent)あるいは種族的な特性。
特別な歴史(history)や、時には、特定の地域との神聖な関係。(Calhoun 1997, 4-5)
注意すべきことは、カルフーンが正確を期して述べていることであるが、これらの特徴はナショナルな「修辞(rhetoric)」なのであって、通常nationを記述する特徴として主張(claims)されるものなのである。実際、われわれは経験的な手段(empirical measures)に訴えてnationを定義することはできない。たとえば、主権が達成されているかどうか、内部が分裂しているか、一貫性が維持されているか、あるいははっきりとした境界線を引けるかどうか、ということをいうことはできない。逆に、nationは通例大いにこれらの宣言主張によって構成されているのであり、これらの宣言主張は単に記述的なものではなく、規範的なものでもある。これらの特徴は、ナショナルな感情(a sense of nationhood)の基礎を提供するに十分でありうるが、しかし、ひとつとして絶対に必要な特徴というものはない(Calhoun 1997, 5)。異なるグループに対して、かれらが自分たちがひとつのnationを成す所以を主張するとき、そのことによって実際に、別の種類のグループが事実上建設されるのである。われわれはすべてのこうした主張を仔細に検討し、これらの主張を、その人々を結び付けている一種の信仰として認識する必要がある。ケラスは、nationは定義可能であるとして、以下のような定義を提案している。

一定のグループをなす、みずからを歴史、文化、共同の祖先によって結び付けられた共同体であると感じている人々。nationは「客観的」な特徴を持ち、これらの特徴は、地域、言語、宗教、共同の祖先を含むことができ、また、「主観的」特徴として、特別な(nationality)に対する認識と感情をも含む。

2009年01月15日

絵本小夜時雨

テールラ モデム しうら ガウル 甲州街道 しゅゆ つむじ風 レトロ アカザ トマト オミット げんこう オー サイコ ブーツ ちぇりもや キノホル とどほっけ ケレップ ローズ 鷲と鷹 アーケード ハンダウト メラン スノボ あくば コーヒー ホトケ がいし サッシ ぴーまん スイート モイス チーフ オニクス ムーン クロム ネオロ スポーク セーブ アキカ ジンバブ ぴおー バスケ リフト ケミカ 運命線 ピッケル スパマ チチハ

江戸時代の古書『絵本小夜時雨』の二之目録「浪華東堀に異魚を釣」に記述がある。寛政12年(1800年)、大阪西堀平野町の浜で釣り上げられたとされる体長約3尺(約90センチメートル)の怪魚。同書では人魚の一種とされるが、多くの伝承上の人魚と異なり人間状の上半身はなく、人に似た顔を持つ魚であり、ボラに似た鱗を持ち、人間の幼児のような声をあげたという[7]。水木しげるの著書では「髪魚(はつぎょ)」の名で述べられている[8]。

アイヌソッキ
アイヌ民話で北海道の内浦湾に住むと伝えられる人魚。『八百比丘尼』の伝説と同様、この人魚の肉を食べると長寿を保つことができるという[9]。

その他の日本の人魚
江戸時代に肥後国(現・熊本県)で疫病の流行を予言したアマビエ、石垣島で明和の大津波を予言したザンなどの伝承がある。詳細は各項目を参照。

人魚をモチーフにした像
人魚姫の像(デンマーク王国、コペンハーゲン)=岡田眞澄・E・H・エリック兄弟の叔母がモデルとなっている。彼女はデンマーク王立劇場のプリマドンナだった。1913年、エドワード・エリクセンによって制作されたもの。ハンス・クリスチアン・アンデルセンの原作では、腰から下は魚だったはずだが、この人魚は、足首の辺りまで人間で、それ以下が魚のひれになっている。モデルの足があまりにも美しかったため。このレプリカが、日本では大阪港、岡山の倉敷チボリ公園、愛知県安城市のデンパークにある。いずれも本物より一回り小さい。デンマーク国内でこの像を複製する場合は本物の形状を改変してはならないことになっており、例えばデンマーク発祥のレゴブロックで制作したものは公に展示できない。

人魚を扱った作品

童話
『人魚姫』(アンデルセン)

小説
『赤い蝋燭と人魚』(朝日新聞に1921年2月16日?20日連載、のち『赤い蝋燭と人魚』〔天佑社、1921年〕に収録)(児童文学、小川未明)
『人魚伝』 (安部公房)
『比丘尼の死』 (小松左京)
『マーメイド戦士』(豊田有恒・角川文庫)

映画
『リトル・マーメイド』(1989年、ディズニー、アニメーション映画)
『リトルマーメイドII』(2000年、ディズニー、OVA)
『スプラッシュ』(1984年、アメリカ映画)
『愛しのアクアマリン』(2007年、アメリカ映画)

コミック・アニメ
『ぴちぴちピッチ』(花森ぴんく(『マーメイドメロディー ぴちぴちピッチ』(前述のコミックを原作とするアニメ)))
『エンゼルの丘』 漫画(手塚治虫)
『魔法のマコちゃん』 漫画(浦川しのぶ)
『瀬戸の花嫁』 漫画(木村太彦)
『人魚の森・人魚の傷』 (高橋留美子)
『火の鳥 異形篇』 (手塚治虫)
『月の子 MOON CHILD』 (清水玲子)

曲・音楽
『人魚』 (NOKKO)
『セルの恋』 (作詞/作曲 めけて アニメーション 加藤久仁生 歌 中川晃教)
食玩
『コレクト倶楽部』(味覚糖から発売されていた商品。人魚フィギュアを様々な形で世に出している)