中核派は創世期は学生中心であったが、1960年代末に中核派系の反戦青年委員会の労働者が続々と街頭武装闘争に参加するようになった。以降、沖縄闘争や三里塚闘争、狭山闘争などの闘いに労働者が決起した。また1970年代の対革マル戦、1980年代のゲリラ闘争においても労働者が革命軍の武闘を支えた。1990年代のゲリラ戦から労働運動への転換により、4大産別での闘いが重要視されるようになり、2000年代の階級的労働運動路線によりあらゆる職場での闘いが始まっている。2000年代後半からは、4大産別に医療・福祉と非正規などを軸とする産別闘争が加わり、6大産別となった。
トラスト クター アップ オバタ ダナン たはら トランス うちまた ノンワイヤ エレジー リアリス ミシンス オポチ カップ シュート キナノ ブレイ ぼしん ヤマボウ ロジウム ログレコド サング トグル ミニデ とらべる この日 スキュラ ダウンヒル モーダル フリッカー レセルピン キジムシ デスクト ディナー ロライト ビーチ ティラナ 長久パート チーク ストック 秋の夜 ユキヤナ トラン 夕凪 バーチ タイイン イザー サマル バッテ ピトン
「マルクス主義青年労働者同盟(マル青労同)」青年労働者の政治組織。機関誌『ソリダリティ』-不定期刊)。
4大産別(6大産別)
国鉄 全逓 教労 自治体 医療・福祉 合同労組
支持・共闘関係の労働組織
動労千葉 「中核派労働運動の精華」あるいは「世界革命の司令塔」「新自由主義に打ち勝っている世界で唯一の労組」などと自称し、「階級的労働運動路線のもとすべての労働者は動労千葉のように闘おう」と呼びかけている。
水戸動労
学生運動
中核派の学生政治組織として、「マルクス主義学生同盟・中核派(マル学同中核派)」がある。学生大衆組織には全日本学生自治会総連合(全学連)がある(いわゆる中核派全学連)。過去から現在、中核派の学籍者がいるとされている大学は以下の通り。
大阪市立大学
京都大学
九州大学
慶應義塾大学
東北大学
東海大学
富山大学
上智大学
広島大学
弘前大学
法政大学
2006年3月14日、大学「当局」の立て看板撤去に抗議していた中核派活動家29人(内法大生など大学関係者は5人)が建造物侵入と威力業務妨害の容疑で逮捕された。逮捕時には約200人の公安警察が動員された。中核派はこの事件を「2006・3・14法政大学弾圧事件」と称し強く反発した。25日には29人全員が釈放され、そのうち法大生であった5人には停学や退学処分が下された。その後、処分生5人や法政大学無関係者も含む逮捕者を中心に「3・14法大弾圧を許さない法大生の会」なる団体をつくり、学内外で抗議活動を現在も行っている。大学側は警備員を常駐させるなどして対処している。06、07年中に停学学生に対して無期限停学や退学など追加処分が下され、(大学無関係者含めて)逮捕者は40名を超えている。
] 諸戦線
支持・共闘関係の大衆組織
三里塚・芝山連合空港反対同盟(北原派)
杉並親の会
全国部落青年戦闘同志会
都政を革新する会(都革新)
部落解放同盟全国連合会
被爆者青年同盟
百万人署名運動
中核派用語集
10・8 じっぱち。中核派が初めて武装して権力と闘った97年の羽田闘争を指し、その闘いは10・8精神として称揚されている。
MWL=マル青労同
MSL=マル学同
NC=革命的共産主義者同盟全国委員会
SOB=学生組織委員会
WOB=労働者中央組織委員会
年表
1956年
10月 ハンガリー革命がソ連によって弾圧。反乱したハンガリー労働者を支持する反スターリン主義運動が始まる。
1957年
12月 革命的共産主義者同盟(革共同)創立。
トロツキー派と、反スターリン派の黒田寛一・本多延嘉らRMGが対立していく。
1958年
7月 革共同第一次分裂。
1959年
8月 : 革共同第2次分裂により革共同全国委が結成される。反帝国主義・反スターリン主義の基本戦略をかかげる。
1959年
8月 : 革共同第2次分裂により革共同全国委が結成される。反帝国主義・反スターリン主義の基本戦略をかかげる。
1960年
4月 マル学同(革共同の学生組織)結成。
6月 安保闘争
1961年
3月 分裂したブンドの半数が革共同へ移行する。中核派これをもって新左翼は革命的に統一されたとする。
4月 全学連第17回大会。ヘゲモニーをめぐりマル学同とつるや連合(ブント・解放派)などが衝突。マル学同は角材で武装して突撃。
1962年
9月 議長・黒田寛一派と書記長・本多延嘉派の対立が表面化する。
1962年
9月 革共同第3回全国委員会総会(3全総)。社会党・共産党をのりこえて階級闘争を戦闘的に推進していくことを確認。議長・黒田寛一派と書記長・本多延嘉派の対立が表面化する。
10月末 政治局内の本多延嘉が「本多フラクション(本多、野島、陶山、北川、白井)」を発足。
1963年
2月 革共同第3次分裂。黒田派が脱党して革マル派を結成。執行部を抑えた本多派は中核派を形成する。
中核派はブント、解放派、構改派と連合4派を組み、全学連を独占する革マル派と対抗していく。
9月13日 「清水谷公園乱闘事件」ー中核派ら連合4派250名が集会してるところへ、革マル派150名が押しかけ、角材で乱闘。
1964年
7月2日 「早大殴り込み事件」ー革マル派の拠点である早大に、中核派、解放派、構改派の3派が殴り込み。投石、角材で渡り合う。
7月 全学連第20回大会ー会場を占拠する革マル派に対し、中核派130名がスクラムを組んで突入し激突。
1965年
連合4派から構改派が抜け落ちた中核派、社学同、解放派が三派都学連を結成。
日韓闘争(日韓条約締結反対闘争)。学生運動の復活が始まる。
1966年
革共同第3回全国大会―安保粉砕・日本帝国主義打倒の基本路線をうちだす。そのもとで70年安保・沖縄闘争に突入していく。。
1967年
10月20日 10・8羽田闘争ー佐藤首相(当時)の南ベトナム訪問阻止闘争。三派全学連を構成する中核派はヘルメットと角材で武装して弁天橋で機動隊と激突。この闘いで中核派学生・山崎博昭が死亡。
11月第二次羽田闘争
1968年
1月 米原子力空母エンタープライズ佐世保寄港阻止闘争ー佐世保市民の支持を得る。
2月?王子闘争ー市民が闘いに加勢する。
10月21日 10・21国際反戦デー ー都内各地で諸セクトが決起する中、中核派部隊は米軍タンク車の輸送を阻止するため新宿駅で闘争。新宿は2万人の群衆が暴動に加わり、騒乱罪が適用された。
11月21日 東大・日大闘争勝利全国学生総決起大会。
日大・東大を先頭に全国で大学闘争が高揚。
1969年
1月18日?19日 東大安田砦攻防戦ー中核派は法研棟を死守。
4月28日 4・28沖縄闘争ー銀座で市街戦。本多延嘉に破壊活動防止法が適用される。
6月 都議会選挙ー北小路敏が落選。
8日 アスパック粉砕闘争。中核派学生の乗っていた電車車両が切り離され全員逮捕。
8月17日?18日 広島大学闘争。
9月20日?22日 京大時計台闘争。
10―11月 「第1の11月決戦」――「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」のスローガンのもとに学生とともに労働者が武装闘争に決起した。労働者の「10・8」を!
10月21日 国際反戦デーー新宿で市街戦。1600人逮捕(半数は労働者)。
11月16日?17日 佐藤訪米阻止闘争ー蒲田で市街戦。2500人逮捕(半数は労働者)。
16日 中核派主力は午後3:30分、東京駅に約200名の部隊を結集、途中品川駅で200の部隊と合流して400の部隊で4:20分に京浜東北線蒲田駅東口に到着。機動隊との戦闘状態に入り、火炎瓶と催涙弾が応酬するが、20分で壊滅した。あとは電車が到着するたび200、100の小部隊が投入されるが次々に粉砕されてしまう。
1970年
4月28日 全国全共闘と全国反戦、6月行動委が共催の4・28闘争。デモ解散地に革マル派1000名が突入しようとするが入場を阻止。
6月 安保闘争―武装をひかえた肉弾デモで闘う。
7月7日 闘う中国人青年からの糾弾を受けとめ自己批判して、「連帯戦略」を形成・深化させていった(プロレタリア国際主義の7・7路線)。以降、中核派はありとあらゆる反権力的な大衆闘争にコミットしていく。
8月4日 東京教育大学(現筑波大学)の革マル派学生を法政大学構内でリンチし、殺害する(東京教育大学生リンチ殺人事件)。
夕刻から革共同大政治集会。
1971年
69年のダメージのため70年は武装実力を控えていたが71年に入り戦闘力が復活。現段階は69年11月決戦で質的に一歩高めた階級闘争を、さらにもう一歩すすめるための「死闘的調整期」であるとした。
2月 三里塚第一次土地強制収用阻止闘争。3週間、激しい闘争が繰り広げられた。
3月 本多延嘉が2年近くの長期拘留から解放。
6月15日?17日 沖縄返還協定阻止闘争。
17日 69年並の武闘が復活。明治公園に中核派を中心とする2万人のデモ隊が結集、公園周辺にバリケードを築き1時間にわたって解放区を現出、爆弾が機動隊に投じられ、肉弾戦。逮捕者732名。
7月 三里塚農民放送塔死守闘争。ダイナマイトが投ぜられる。
8月4日 革共同大政治集会ー秋期大決戦突入の号令。大衆によるコザ暴動、三里塚での農民の闘い、ノンセクトの爆弾闘争の頻発。これらの事件に中核派は影響を受け、全人民的規模での「10・8」を!と呼びかける。
9月 「三里塚決戦」第二次土地強制収用阻止闘争。中核派は数千人の部隊を投入、あちこちで機動隊を文字通り撃退した。東峰十字路では機動隊員3名が死亡。
10月
20日 横国大で革マル派の美術学校生水山君を殺害。
21日 10・21闘争ーゲリラ戦の号令。新橋、有楽町で解放区型闘争。210名逮捕。
23日 首都圏の中核派拠点大学に革マル派がテロ攻撃。
1973年
3月 対革マル戦争の路線対立で政治局員・田川和夫が除名。
9月 部落問題をめぐる意見の対立から沢山保太郎が除名。
1974年
2月6日 琉球大学構内で、一般学生・比嘉照邦さんを「革マル派メンバー」と誤認して殺害する。
1975年
3月14日 書記長・本多延嘉が革マル派に殺害される(中核派書記長内ゲバ殺人事件)。
1980年
対革マル戦争を担いロンドンに亡命していた上口孝夫が帰国し、正統本多派と称して「『勝利に向っての試練』編集委員会」(試練派)を立ち上げ、中核派から分裂した。(後に試練派は1983年、第四インターに近づくが失敗し、86年に「第四インターナショナル・ボルシェヴィキ派(準備委員会)」(ボル派)を結成し、機関誌『ボルシェヴィキ』を創刊した)
1983年
3月8日 主に「一坪再共有化運動」の是非をめぐって三里塚・芝山連合空港反対同盟が分裂。「再共有化運動」に反対した中核派は、「北原派」を支持する。
1984年
1月 全国一斉に五箇所の第四インター派メンバー宅を襲撃。一人に頭蓋骨陥没させる重傷を負わせる。
7月 全国一斉にふたたび三箇所の第四インター派メンバー宅を襲撃。一人に片足切断の重傷を負わせる。
9月19日 中核派の地下軍事組織である「人民革命軍」が、火炎放射器で自由民主党の本部を襲撃。本部ビルの一部を焼失させる(自由民主党本部放火襲撃事件)。
1985年
10月20日 三里塚交差点付近で、丸太、鉄パイプ、火炎瓶などを武器に、機動隊と大規模衝突を起こす(10.20成田現地闘争)。
11月29日 首都圏・大阪地区の国電運転線区で同時多発的に通信ケーブルを切断。さらに、浅草橋駅を占拠し、放火。(国電同時多発ゲリラ事件)。
以降、街頭実力闘争は行っていない。
1986年
4月15日 在日米軍の横田飛行場を狙って、車の荷台から「迫撃弾」と称した金属の塊5個を射ち込む。
5月4日 東京サミットの式典会場となっていた迎賓館などを狙って、近くのマンションから「迫撃弾」「飛翔弾」と称した発射物5発を射ち込む。
1988年
9月21日 千葉県収用委員会会長で弁護士の小川彰氏を鉄パイプで襲撃し、両足と左腕を骨折させる重傷を負わせる。それとともに「収用委員会解体闘争」として収用委員全員に組織的に脅迫じみた手紙、電話などを送り続け、翌月、収用委員全員が辞任し千葉県収用委員会の機能が完全に停止する。
1989年
7月3日 東京都議会選挙で中核派系とされる長谷川英憲が当選(「杉並革新連盟」として出馬、のちに「都政を革新する会(都革新)」と改称)。
1990年
4月 日本飛行機(株)専務宅放火殺人事件について、中核派革命軍による犯行声明が出される。
1991年
5月 「五月テーゼ」を決定
1997年
年末 議長に清水丈夫を、書記長に天田三紀夫を選出。
1998年
2月25日 午前二時三十分、革命軍が東京都世田谷区桜丘の運輸省元航空局長に火炎攻撃。「「成田空港二〇〇〇年平行滑走路完成」攻撃を絶対に粉砕することを明らかにする戦闘宣言」と発表。
1999年
11月 新東京国際空港公団(現・成田国際空港株式会社)次長の自宅に時限式発火装置を仕掛け、放火。
2000年
6月5日 公式ホームページを開設
8月26日 運輸省(現・国土交通省)幹部の車両に時限式発火装置を仕掛け、放火。革命軍が「農民の営農破壊、生活破壊のためだけに暫定滑走路工事を強行してきた張本人」「強烈無比の爆破戦闘は、乗用車を大破し、家屋をも徹底的に破壊した」と軍報。
2002年
4月 千葉県職員宅に時限式発火装置を仕掛け、放火。
12月18日 中核派元幹部で中核派を批判する本を書いていた白井朗が何者かに襲われる。
2003年
8月 千葉県警幹部と同姓同名の男性が住む民家に爆発物を仕掛け、放火(県警幹部と誤認した可能性が指摘されている)。
2005年
8月4日 杉並区役所での「新しい歴史教科書をつくる会」教科書採択反対デモの中で、参加者の中核派活動家北島邦彦(現杉並区議会議員)が、ビデオ撮影をしていた男性に暴行を加えたとして逮捕される。
11月6日 同派及び関係労組らが主催する「全国労働者総決起集会」で過去最高の2700人(警察発表)を動員。
12月 警察庁の「治安の回顧と展望」と公安調査庁の「内外情勢の回顧と展望」は中核派について、同派と関係のある市民団体と共闘して、「つくる会」の教科書の採択反対運動に関与していることを強く示唆。
2006年
3月3日 迎賓館や在日米軍の横田飛行場などを狙って迫撃弾を発射し、爆発物取締罰則違反の罪に問われた中核派活動家に対し、東京地方裁判所が懲役12年の実刑判決を言い渡す。被告人側は即日控訴。
3月14日 中核派系全学連委員長ら29人が、法政大学で、大学敷地内で立て看板の撤去作業に抗議し、建造物侵入と威力業務妨害の容疑で現行犯逮捕される。
2008年
5月28日 中核派系全学連委員長ら5人が、傷害と公務執行妨害の容疑で逮捕される。
5月29日 法政大学でデモが起こり、中核派学生活動家33人が逮捕される。
6月29日 渋谷で洞爺湖サミット反対デモが起こり、中核派活動家8人が、公務執行妨害の容疑で逮捕される。後日、前進社へ家宅捜索。
7月3日 中核派活動家3人が、法政大学の敷地内に無断で侵入し、建造物侵入容疑で逮捕される。容疑者は、仲間の退学処分に抗議するためキャンパス内に侵入したという[1]
現在、指名手配されている中核派のメンバー
()内は現在の年齢
大坂正明 (59) 警備中の警察官を襲撃し殺害・他4件
古川康三 (43) 現住建造物放火
木下治人 (61) 集団暴力事件
山本寛 (59) 集団暴力事件